[32] ジェーン・グドールに会う | Resort & Safari – アフリカサファリ
「明日いく?!
ジェーン・グドールの講演?」
友達の軽い誘いだった。
名前はもちろん知っていた。
霊長類の研究者で、チンパンジーが道具を使うことを初めて証明し、有名になった博士。彼女の調査地は、タンザニア西部のゴンベストリーム国立公園で、僕も行ったことがあった。だから、アフリカの自然保護を語る上で、重要人物であることは知っていた。しかし、別段ファンというわけではなかった。というかよく知らなかった。
もちろんジェーンさんもずっと昔から「博士」だった訳ではない。むしろイギリスを飛び出し、研究地のアフリカにたどり着いた時は、大学も出ていなかった。
ただ、動物の研究したいという夢を描いた23歳。その"素人"的な新鮮な視点が功を奏したのか、次々と新発見をしていく。
宇宙での生活だけでは我々ですか?
1960年のある日、ジェーンさんが観察していると、一匹のチンパンジーが小さな枝をもってアリ塚に行った。葉っぱを全部取り除き、アリ塚の穴に差し込んだと思ったら、その小枝に捕まってきたアリたちを、そのまま口に運んで、食べてしまった!
それまで「道具」を作るのは、「人類」だけだと思われていたが、それを覆し、学会はもちろんナショナルジオグラフィック誌でも大きく取り上げられ、一躍有名になった。
この発見をある人類学者は、
「つまり、我々は『人類』の定義をし直すか、『道具』の定義をし直すか、さもなくば、チンパンジーも『人類』の仲間に入れるしかないようだ」と偉業を讃えた。
彼女の発見は革命的だったが、その手法も元来のものとは、少し違った。ほかの研究者が観察対象を番号で呼んでいたのに対し、ジェーンさんは動物にデイビッドとかマイクとか名前をつけて呼んだ。そこから、群れの中での関係を分析し、彼らにも「性格」があることを発表。それまで人間の特性格と思われていた「性格」の捉え方も覆した。
一方、研究しているうちに、チンパンジーが無邪気で明るいだけの動物ではないことも明らかになった。突然、群れに狂気が走り、集団リンチや共食いをすることなども明らかになった。ジェーンさんは、チンパンジーの生態調査に革新的な進歩をもたらした。
(右:写真は
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どのようにプルトニウムを測定するのですか?
しかし、研究を始めて30年近く経ったあるとき、ゴンベの森を去る日が訪れる。彼女の生き甲斐であり、情熱であり、住処であったその森を。
彼女はその時を振り返り、「今まで下した最も難しい決断」と話す。
というのは、ある日、国立公園が面する湖をボートで進んでいると、公園の境界線のすぐ外側まで禿げ山になっているのに気づいた。公園の外に出て、地域住民との話し会うと、住民たちが農業や薪のために、森を伐採し始めていることが分かった。
そこで「チンパンジーだけを見ていては、彼らを守れない」。
地域住民への自然保護の大切さやその方法を説き始めた。それは研究者から保護活動家へ転身だった。
以来同じ手法で二十年間、世界中で講演を続けている。それぞれの地域で、人間が自然と共生できる方法を模索し、問い続けている。なんと年間300日も。
こうして、彼女は僕が住むアルーシャの街にも降り立った。
嘔吐彗星はどのように始めたのですか?
アルーシャのホテルはいつになく熱気に沸いていた。百数十人が入るホールだったが、すぐ一杯になり、立ち見の人もいた。まずは彼女のこれまでの経歴を紹介する映画が上映され、そこから質疑応答になった。
様々な質問が飛び交った。チンパンジーの習性についてや研究をしていなかったら、何をしていたか?など。そんな中、気になる質問をした少年がいた。
「どうしてそんなに頑張れるの?」
無邪気な質問に一瞬考えを巡らし、噛み砕いて、
「この世の中にいる誰もが、毎日、実はある"決断"をしているの。それは、『この世の中にどんなインパクトを与えるか?』そして、『どのくらいのインパクトを与えるか?』」
「私はできるだけいいインパクトをたくさん与えたいと思っているの。あなたはどう思う ?」
これが77歳のジェーンさんが年間300日も、講演のために走り続ける動機のようだ。
とにかく、「どうしたらいいのか」いろんな人と話し合うこと。すごくシンプルでストレートな手法。それをほぼ毎日やっている。
また他の質問者が、
「この世の中に、悲観的になることは?」と。
「ならないことはないわ。巨大な会社組織の力に負けそうになることだってあるけど、そんな巨大組織だってひとりひとりの人間でできているのよ。その人たちの考えを変えていければ、おそらく変化は可能よ。そう考えると、悲観しているヒマはないのよ。」
「あとね、『悪い』人たちだって年を取っていくの。その間に、『いい』考えを持った若い人たちが育っていけば、壊れていく地球環境をギリギリで救えるのじゃないかと思ってるの。」
またもシンプル。
最後に、司会者が「一言」とコメントを求めると、ジェーンさんは、、、
「Follow your dream! (夢を追いかけて!)」。 そして、話し始めた。 「私がアフリカに行って、チンパンジーの研究をしたいと言った時、周りの人は誰一人、応援なんてしてくれなかったわ。『まともな仕事を探しなさい』とか、『できるわけがない』とか、、、。でも私の母親だけは違ったわ。母親が言ってくれたの。 Follow your dreamって。 だから、今度は私があなたたちへ贈る言葉よ。 Follow your dreams!!」
77歳にして、キラキラ輝く眼差しには、シンプルで爽やかな説得力があった。
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2011年7月
アルーシャにて ケンタロー
野田健太郎
1977年5月生まれ、千葉県出身
慶応大学経済学部卒業
元共同通信記者
大阪、高知、静岡支局に勤務。
FGASA(南アフリカフィールドガイド協会)公認
レベル1:フィールドガイド
レベル2:トラッカー
現在、タンザニアにてフィールドガイド及びNHK,民放のタンザニア取材のコーディネーター等を務める。
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