2012年5月11日金曜日

ウユニ塩原 (ウユニ塩湖) 旅行記 | Traveloose


ウユニ塩原

ボリビアの首都ラパスを昨夜21時に出発した長距離バスは、ひどい悪路を走り続け、10時間後の朝7時にウユニに到着した。ボリビア南西部、ラパスから550km離れた標高3,660mにあるウユニは、塩の生産とウユニ塩原観光を主要産業とした人口1万人の小さな町。

バスを降りるとウユニ塩原ツアーを催行するBrisa Toursのスタッフが客引きをしていたので、オフィスに着いて行って、このあと11時からの一泊二日のウユニ塩原ツアー(45USドル)に参加することにした。このツアーは、ラパスのバスターミナルで出会ったIさんのほか、卒業旅行で南米を旅している三人の女子大生と、NY在住で南米旅行中の日本人男性も一緒だった。

僕ら七人を乗せたランクルは、11時にウユニを出発。列車の墓場と呼ばれる場所へ向かった。ここにはかつてこの地で使われていた蒸気機関車が放置されていて、朽ちるに任されている。アンデスの大地に横たわる錆びれた廃列車は遺跡のようだった。列車の墓場を後にしてしばらく走ると、真っ白な景色が広がり始めた。

ウユニ塩原の端にある塩の採掘所で車を降りた。塩の地面はアスファルトのように固い。足元の塩を採って舐めてみると当然しょっぱい。ウユニ塩原の塩の採掘は、地面をシャベルで掘って高さ1mほどの山にして、数日間日干しにしたものをトラックで町へ運ぶそうだ。

塩の採掘所の周辺は水が溜まっていて、その水に空の色が滲んで幻想的な光景になっていた。ウユニ塩原があるボリビアのアンデスは、11月~3月が雨季、4月~10月が乾季になる。今はちょうど雨季が終わり乾期が始まる頃なので、塩湖(Salt Lake)が塩原(Salt Flat)へと変わる時期。ウユニ塩原は、「ウユニ塩湖」とも言うが、今の状態は「ウユニ塩原」が正しいだろう。雨季は天気がいいとウユニ塩原に薄く張った水が空を映し出し「アンデスの鏡」と言われる状態になる。その時は空の中に立っているような体験することができるそうだ。

永遠に続くかのような真っ白な世界をひた走り、ウユニ塩原の上に建つ塩のホテルへと向かった。真っ白な大地と真っ青な空の間に挟まれていると不思議な気持ちになる。どこか別の惑星にいるような感じだ。


archaelolgistsは何をすればよい

塩の世界をタイヤの跡を頼りに時速100キロを超えるスピードで2時間ほど走り続け、今夜宿泊する塩のホテル「Hotel Playa Blanca」に到着した。電気や水が通っていないこのホテルは、壁からベッド、テーブルや椅子まで全て塩で出来ている。さすがに壁やベッドを舐めて確認はしなかったが、これまで泊まってきたホテルのなかで究極に変り種のホテルだ。

意外と早く塩のホテルについた僕らは、明日の昼にツアーの迎えが来るまでの24時間ここで自由時間となった。塩のホテルからは、地平線にうっすらとアンデスの影が見えるだけで、あとは青空と塩原以外になにもない。さて何をしよう。

アルティプラーノと呼ばれるアンデスの高原地帯の標高3,700mにあるウユニ塩原は、南北約100km、東西約250km、面積約12,000k㎡の塩の大地。東京、神奈川、埼玉、千葉を合わせた大きさがあるのだから凄いとしか言いようがない。ウユニ塩原は地球上で最も平らな場所とされているそうだ。

アンデス山脈は、1億年前に太平洋プレート、ナスカプレート、南米大陸プレートがぶつかり隆起して形成したが、その際に大量の海水も持ち上げられそのまま山の上に残された。ウユニ塩原のあるアルティプラーノは外に流れる川が形成されなかったことから、隆起した際に残った海水は気の遠くなるような歳月をかけて干上がり、塩だけが残ったそうだ。

ウユニ塩原に明日の昼まで取り残された僕らが始めたのは、塩の結晶採取。ウユニ塩原にはところどころ小さな穴が開いていて、穴の下には塩分濃度の高い冷たい水が溜まっている。

その中に手を突っ込むと、結晶化した塩の塊を取ることが出来るのだ。とはいっても、硬い塩の結晶はそう簡単に採取できるわけではない。シャベルを使って塩のホテルのスタッフと一緒に結晶採取に精を出した。

塩水の穴に腕を突っ込んで結晶を掴んで引き剥がすと、ナタデココのような塩の結晶がガバッと採れた。このとき貝がらも一緒に出てきたのだが、これはアンデス山脈形成時に取り残された貝がらなのだろうか。だとしたら1億年前の白亜紀から塩漬けにされていたレアものだ。皆でワイワイと結晶採取をしていたら、あっという間に夕暮れの時間がやってきた。


どのように岩が壊れていますか?

ウユニ塩原のかなたに沈む夕陽を塩のホテルから眺める。ついさっきまで真っ白に輝いていた大地もコントラストを落としていく。しばらく結晶採掘に夢中になっていたのでわからなかったが、静かになるとここが全く音のない世界だということに気付く。暗くなった頭上には徐々に星が現れた。美しい時間の流れだった。

塩のホテルの夕食は、温かいスープやパスタ、コカ茶などで十分満足できるもの。久しぶりにビールも飲み楽しい夕食だった。ほろ酔いで外に出たら月明かりウユニ塩原を照らしていた。頭上は満天の星空で地平線近くまで星が輝いている。アンデスに来てからずっと雨期だったので星空を眺めるのは久しぶりだ。みなで首が痛くなるまで星空を見上げた。ロウソクの灯りで夜を過ごし、ウユニ塩原の夜は更けていった。

ウユニ塩原

目覚まし時計の音で朝5時半に目覚める。標高3,700mのウユニ塩原の夜は寒いと聞いていたが、塩のベッドにはリャマの毛布が敷いてあったので、寒さを気にせずぐっすりと眠ることができた。水道がないのでペットボトルの水で顔を洗い、ペンライトの明かりでコンタクトレンズを入れる。外に出ると空が淡いパステルカラーに染まっていた。凍えるほど寒かったがしばらく日の出を待った。

6時40分過ぎ、遠くに見えるアンデスの向こうから太陽が昇り始めた。朝日に照らされたウユニ塩原がキラキラ輝く。頬に日光が当たり寒さも和らいでくる。昨日の夕暮れに続き、なんて贅沢な時間だろう。空の色の変化が美しかった。

パンとコーヒーの朝食を終えてから、昼まで塩の上で過ごした。標高が高いうえに日差しの照り返しが強いため、昨日だけであっと言う間に日焼けしてしまった。ウユニ塩原は乾燥しているので唇がカサカサだ。

昼過ぎに迎えに来たツアーのランクルに乗り込み、「魚の島」(Isla de Pesca)へ向かった。ウユニ塩原に浮かぶ(?)この島は、高さ約40m、遠くから見たときに島が魚のように見えることからこう呼ばれている。インカ時代の人々は、ウユニ塩原を横断する際にこの島を中継地点として利用していたそうだ。島にはインカの人々が植えたとされる無数のサボテンが生えていた。


どんなパンツと動物のcindとロッキー山脈にあります

真っ白な世界のほぼ中心にサボテンだらけの孤島があるなんて不思議な光景だ。サボテンにしても見たことがないほどの高さまで成長していて、10m級のサボテンがニョキニョキ生えている。看板の付いたこの島で一番高いサボテンは12.03mだった。約1時間ほどサボテンの間を歩き、その後、ウユニ塩原の上で昼食をとった。

魚の島周辺は、遠くまで幾何学模様の突起が表れていた。ウユニ塩原では対象物がないので遠近感がなくなるが、このあたりは突起のおかげでなんとなく距離が掴める。

ツアーの最後は、塩原の底からガスが発生している場所に立ち寄った。ガスの噴出する穴の周りは塩が溶け、それがハート型になっている箇所があった。自然の作り出すアートのよう。硫黄の匂いはしないし熱もない。これは天然ガスなのだろうか。ウユニ塩原には何百万トンというリチウムが埋蔵されているらしく、最近は景観以外でも注目を集めているとか。

ツアーの行程を終えて、ウユニの町への帰る途中、塩原に水が張っている場所があり、完璧ではないものの湖面が鏡になって空が映っていた。ウユニ塩原が鏡になっている状態も見てみたかったと話していた矢先だったので、最後にちょっとだけ見れて嬉しかった。

ツアーを終えてウユニの町に戻ったのは夕方18時。旅の途中で「ボリビアまで行くなら絶対ウユニ塩原に行った方がいい」と薦められ、ペルーのクスコから1,200kmの距離をバスに乗ってはるばるやってきたわけだが、本当に来て良かった。20時発のバスでラパスへ向かった。

ウユニ塩原からラパスへ

ウユニを出発したバスは、約10時間後の朝7時にラパスに到着。バスターミナルで明日のクスコ行きの長距離バスチケットを購入し、先日泊まったオスタル「Austria」に再びチェックイン。午後からお土産を探しに町へ出た。


アンデスの土産物屋では、アルパカ製100%ではないのに「アルパカ100%」と偽ってセーターなどが売られている、せっかくボリビアまで来たのだから、父親のために本物のアルパカ製品を買おうと思い、日本人経営の店でスーツの下に着られるようなベストを買うことにした。そして悩んだ末、ただのアルパカではなく、さらに質の良い「ベビーアルパカ」のベストを買うことに決定。確かに触ってみるとベビーアルパカの毛は、しっとりしていて滑らかで肌触りが良い。ベビーアルパカは、毛を刈りすぎてしまうと死んでしまうため、少量ずつしか刈ることが出来ないので貴重なのだそうだ。

ラパスからクスコへ

朝8:30、長距離バスターミナルからクスコ行きのバスに乗って、ラパスを出発した。天気が良かったので、バスの窓からはアンデスのコルディエラオリエンタル山脈をバックにしたラパスの街並みがはっきり見渡せた。

ボリビアは1週間の滞在だったが、ウユニ塩原は本当に良かった。ラパスは、民族衣装を着たアイマラ族と欧米化した混血の若者、伝統と近代化がごちゃ混ぜの印象。酸素が薄い上に自動車の排気ガスで空気が悪く歩くのが辛い町だった。ボリビアには広大なアマゾンもあるので、長期間滞在できる機会があればジャングルへ入っていくのも楽しそうだ。

バスは11時半にペルーとの国境デサグアデーロに到着。先日ここを通過した際に、ペルーの国境ポリスにお金を盗まれたことを思い出す。ボリビアのイミグレで出国スタンプを押してもらい、歩いてペルー側へ…。事前に泥棒と言うスペイン語を覚えておいたので、あの緑色の建物の前で「ラドロン!」と叫んでやりたかったが、実際にはそんな勇気はなく、オフィスの写真を撮影するだけに留めた。オフィスの前に座ってカモになりそうな旅行者を探している国境警察は盗みのプロだ。

ペルーからチリへ

クスコに戻ってから1ヶ月以上過ごしたアンデスを離れて飛行機でリマへ飛び、その翌日にリマから次の目的地「チリ」のサンティアゴへ飛んだ。続きを読む



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