2012年3月24日土曜日



「本当の」ユダヤ人はどこに?

 

もし中東にいる白い「ユダヤ人」が聖書のいう、偽ユダヤ人であるなら、
それでは、本当の「ユダヤ人」はどこにいるのでしょうか?
本日はそれを考えてみたいと思います。

 現在、ユダヤ人と呼ばれている人々は、アブラハムの子孫ではない!!   その2 ,   その3

 偽ユダヤ人関連資料
 

1.終末の日のイスラエル民族の回復は聖書に預言されている

聖書は明らかに終末の日のイスラエル民族の回復を述べています。
以下のパウロのことばの通りです。

"ロマ11:25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、
26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。"

そのようなわけで、終末の日にイスラエル民族が神に立ち返ることをいう人々は、
正しくみことばを理解したものであり、終末の日にイスラエル民族が神に立ち返らないと
主張する人々は、不信仰な、またあまり聖書を知らない人々ということになります。

また、以下の黙示録の箇所は、その「預言されていたイスラエルの回復の成就の日」を
さすように思えます。

"黙示7:1 この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押え、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。
2 また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。
3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
4 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。
5 ユダの部族で印を押された者が一万二千人、ルベンの部族で一万二千人、ガドの部族で一万二千人、
6 アセルの部族で一万二千人、ナフタリの部族で一万二千人、マナセの部族で一万二千人、
7 シメオンの部族で一万二千人、レビの部族で一万二千人、イッサカルの部族で一万二千人、
8 ゼブルンの部族で一万二千人、ヨセフの部族で一万二千人、ベニヤミンの部族で一万二千人、印を押された者がいた。"

聖書の中で、「イスラエルの民族の回復」は明らかに預言されており、聖書を信じるなら、それは
確かに起きると思った方が正しいと思えます。

教会の一部には、文字どおりのイスラエル民族が回復するとは限らないという意見も
あるようですが、しかし、上記黙示録7章には、「ユダ、ルベン、ガド、..」というように、
具体的な旧約のイスラエル12部族の名前が記されています。これは、たとえととるより、
文字どおりの12部族ととるより解釈のしようがない箇所と思われます。
 


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2. 2種類の14万4千人

実は黙示録には、もう一箇所14万4千人について書かれている箇所があります。
以下の箇所です。

"黙示録14:1 また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。
2 私は天からの声を聞いた。大水の音のようで、また、激しい雷鳴のようであった。また、私の聞いたその声は、立琴をひく人々が立琴をかき鳴らしている音のようでもあった。
3 彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。
4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。
5 彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。"

この箇所は、上記黙示録7章の14万4千人の箇所と異なり、
イスラエルの12部族のことは書かれておらず、逆に小羊の名というように新約的な
特徴にあふれています。多くの黙示録研究者は、この2つの箇所の14万4千人は異なる集まりをさしているととり、片方を(黙7章)を旧約、イスラエル部族と関係する人々、他方(14章)を新約の聖徒であると
解釈します。

さて、そのように解釈するとますます、終末には、「イスラエル民族の回復」が起きて来るはずだということがわかります。

もしも、もしも、中東や、アメリカ、ニューヨークにいるあの白いユダヤ人が本物でないとしたら、
(その証拠はたくさんあるのですが)、それでは、一体どこに本物のユダヤ人はいるのでしょうか?
 

3. 「失われた10部族」

そのことを考える前に、「失われた10部族」説ということを考えてみましょう。
旧約のイスラエル民族が北のイスラエル王国(10部族)と、南のユダ王国(2部族)とに分かれていたことは、聖書に明確に記されている事です。そして、その北イスラエルの10部族は、アッシリア
に捕囚となり、以前から、住んでいたイスラエルの地から、移されてしまいました。
その後、彼ら10部族は、歴史から、消えてしまいました。

この失われた10部族に関して、色々な研究がありますが、
多くの日本の牧師、研究者は、彼らが中国、韓国、そして、日本にまで至ったのではないかと述べます。
それらの説はそれなりに説得力のあるものであり、確かに聖書に記されている
イスラエルの風習と日本の古来の習慣、言語等は、よくにているところがあります。

たとえば:
*みこし=契約の箱
*神社=旧約の幕屋

のように似ている風習が多いのです。
また、暦も似ています。
欧米では、新年にはそれ程、特別な休みがあるようではないようですが、
日本など、お正月というとそれこそ、大きな節目となります。
しかし、聖書出エジプト記を読むと、「これを正月とせよ」ということで、
正月に特別な意味をもたせています。また、正月の前の晩、ということは、
大晦日にあたるのですが、その日の夜、「イスラエルは代々寝ずの番をする」との
記述があります。日本でも大晦日は子供も遅くまで起きていますが、不思議と
一致します。
また、聖書に記されている正月の7日間、「種入れぬパンをたべる」という記述は、
日本の正月の期間に餅を食べる習慣と明確に対応します。

また、日本語の中に多くのヘブル語が入っていることを研究者達は述べます。
また、日本語のひらがな、かたかなは、古いヘブル語の筆記体と似ているとある
研究者は述べます。その対照表を見たことがありますが、確かに似ているとうなずける
ものがあります。
 


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他の欧米や、アフリカの国々に、日本のように、正月の七日間、餅(種入れぬパン)を食べる習慣があるとは聴いたことがありません。それで、この聖書的な習慣が日本にはあること一つをとっても、
日本の国は、欧米や、アフリカの国々に比べて、「失われたイスラエルの部族」の子孫が残っている「可能性」が高いといえると思います。もちろん、誰も断言はできないのですが、可能性について語ることはできると思うのです。

 日本のルーツはイスラエルにある!   その2   その3    その4
 
 

4. 黙示録7章は、「日の出る方角」におけるイスラエル民族の回復を語る

聖書に戻りますが、上記黙示録7章には、「日の出るほう」でイスラエルの12部族に聖霊の印が与えられることが書かれています。以下の通りです。

"黙示録7:2 また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。
3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
4 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。"

「日の出るほう」とは何をさすのでしょう?普通に考えれば、地上の場所や、方角をさすと思います。
聖書は、イスラエル、エルサレムを地の中心とみなしますから、そこから日の出る方角とは、アジア地方をさすでしょう。そのなかでも特に昔から「日出る国」と称し、また太陽を国旗とする日本は、この表現にまさしく該当する国と思えます。
逆に日が没する国、西のイギリス、ヨーロッパ等はこれに該当しないでしょう。

ここには、「日の出るほうから上る御使い」が、「イスラエルの子孫のあらゆる部族の者」に印を押す事が書かれています。これは具体的には何をさすのでしょう?
これこそ、日の出るほう、すなわち、アジアから始まる世界的な規模のリバイバル、終末の大収穫に
通じる、聖霊の大傾注をあらわすのではないでしょうか。
そして、その聖霊の働きの中で、かつてアッシリアから、東の地に迄至った、イスラエルの部族の
子孫が、神の印を受ける、そのことをさしているのではないでしょうか。

そう考えると多くのことがらのつじつまがあってくるようです。
 

5. 聖書は「ユダ族=ユダヤ人」も東の地で終末に回復されることを述べる

 

さて、私は「失われた12部族」について考えてみたいと思っているのです。

上記黙示録7
章の「イスラエルの部族が聖霊の印を受ける」記述の中で一つ注目すべき箇所があります。
それは、聖書は、「イスラエルの失われた10部族」が東の地で聖霊の印を受けるといっているのではなく、そうではなく、「イスラエルの失われた12部族」が東の地で聖霊の印を受けるといっていることです。10部族ではなく、12部族が聖霊の印を受ける事について語っているのです。そして、その中には、
北イスラエルの10部族だけでなく、南のユダ王朝に属する「ユダ部族」も入っているのです。

繰り返しますが、聖書は、「ユダ部族」も終末の日に「日の上る方」すなわち、アジアの地において、
聖霊の印を受けて回復することを述べているのです。

いわずもがなですが、聖書でいう「ユダヤ人」とは、南のユダ国に属する人々のことをさすのです。

さて、このように聖書が「終末の日の東の地におけるユダ族の回復」を述べているとすると、
ここで当然のように附随する質問が出て来ます。それは、「それでは今、このユダ国の人々はどこに
いるのか?」という質問です。

その答えは北イスラエルの人々のことを考えれば解ります。
北イスラエル、失われた10部族が遠い東のアジアの国々、中国、韓国等にまで、長い旅路の果てに辿り着きそこにすみついていたとします。そして、その地において、終末の日に その子孫である国民が
聖霊の印を受けるとします。また、そのことを黙示録7章が語っているとします。


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もしそれが本当なら、同じように終末の日に黙示録7章で、聖霊の印を受ける「ユダ部族」に関しても同じことがいえるのではないでしょうか?すなわち、ユダ族も、本当の、真のユダ族も実は現在、東アジア の国に住んでいるのです。もちろん、その国の国民は自分達がユダ族の子孫だなどと、思っても
いないのですが、しかし、実際はその子孫である。ユダ族は実は現在、東アジアの地に移り住んでいる、 だからこそ、彼らは終末の日に「日の上る方」で聖霊の印を受け、聖霊の大傾注を受ける、そう
考えた方が論理的ではないでしょうか。

ですから、上記黙示録7章の「イスラエルの12部族が日の上る方で聖霊の印を受ける」との記述は、すなわち、イスラエルの子孫の12部族全てが東の地にいるということをあらわすと思われるのです。そのように考える事がもっとも論理的だと思われるのですが、どうでしょう。
 

6. ダビデ王朝の血筋を受け継ぐ民族こそユダ族、真のユダヤ民族

 
 

さて、もし、日が上る方、すなわちアジアの国々にこの「ユダ国」につらなる人々がいるとして、もしそうなら、どの国がそれに近いのでしょうか。

私も専門家ではないので、あまり断定的なことをいえないのですが、
一つ考えるべきことがあります。それは、ユダ国の一つの特徴は、この国に、「ダビデ王朝」があったということです。そして、ダビデ王朝の一つの大きな特徴は、「ダビデの血筋が続いている」ということです。すなわち、「王の子が王となる」という原則で、血筋が一貫して継続して途切れず続いているのです。
聖書の歴代、列王記を詳しく見ると、北イスラエル国と異なり、ユダ王朝の血筋は決して途切れず、継続していることがわかります。 ダビデの血は一貫して王族の中を流れているのです。
このように書かれています。

2歴23:3"こうして、全集団が神の宮で王と契約を結んだ。そのとき、彼はこう言った。「ご覧のとおり、主がダビデの子孫について約束されたように、王の子が王となるのです。"
 

さらに聖書の中で神は、後々までダビデの王族が絶える、断絶することがないことをも
約束しています。

"2歴7:8わたしが、あなたの父ダビデに、『あなたには、イスラエルを支配する者となる人が絶えることはない。』と言って契約を結んだとおり、あなたの王座を確立しよう。"

もちろんこのことは、キリストにおいて、実現するのですが、しかし、今我々は肉にある、
イスラエル、アブラハムの血筋に連なる、ユダ族の王族について語っています。
神は、「イスラエルを支配する者」、すなわちユダ族の王族の血筋が歴史上、決して絶
える事がないことを 約束しているように思えるのです。
 
 
 

さて、アジアの国々、たとえば、中国や韓国の王の歴史を見ると、このような血筋の継続ということはありません。ある王族が立って何代か継続したとしても、その後全く別の血筋の王朝にとって変わられてしまうのです。これは、中国や韓国に限らず、王族の血筋とは、イギリス、フランス等どこでも、
継続していません。
 
 
しかし、たった一つ例外的な国があります。それはどこか? それは
勿論、万世一系の系統を誇る日本の天皇家です。世界でただ一つ、日本の王族にのみ聖書、ユダ王朝の特徴である、「血筋の継続」があるのです。日本の王族(皇族)の血は、日本の歴史始まって以来、綿々として、同じ血筋が流れています。このことは、日本にいると、当たり前のように思ってしまうのですが、世界的には大変例外的なことです。

そして、日本の皇室とイスラエルの伝統や、風習との近似は多くの研究者が指摘することです。

客観的に見て、日本の皇族は、ユダ、ダビデ王朝と関係している可能性が高く見えるのですが、
このことは偶然でしょうか?

とてもそうは思えないのです。
 


7. 白人である中東イスラエルの"ユダヤ人"と黄色人種である日本人とは決して同族ではない。その意味では「日ユ同祖論」はありえない。

 

もしかすると日本を含むアジアの国々には、この失われたイスラエルの部族の子孫が確かにいるのかもしれません。
しかし、もしそうだと仮定するなら、人種的にはっきりいえることがあります。
それは、もし、我々アジアの国々の中にイスラエルの部族の血が流れており、我々がその子孫だと
仮定するなら、あの中東のイスラエルの地に住む、ユダヤ人は人種的に我々の同族ではありえないということです。

人種差別をしているのではなく、生物学的な分類の話をしているのです。
たとえば、日本人と韓国人、これは、人類学的に似た種族です。
日本人の間に韓国の人が歩いていても、特に何もいわなければ、そうとは、気付かず、日本人と
区別できないことがあります。それは、この2つの国民が生物学的に似た肌の色、髪の色、目の色をしていて、あまり明確に区分できないからです。中国や、モンゴルの人も日本人と似ています。
大相撲のモンゴル出身の朝青竜などを見ると、外見は日本人とあまりちがいがないように見えます。

それに反して、ユダヤ人は日本人や、韓国、中国人とは生物学的に全然異なる人々です。
論より証拠、たとえば、典型的なユダヤ人である、キッシンジャー、アインシュタイン、アンネフランク
等を日本人の間に置いて、誰もが日本人だと思うかと言うと誰も思わないでしょう。
彼らは別人種です。逆に彼らがアメリカ人、イギリス人、ドイツ人のように白人系の人々の間に
立っていたら、あまり違和感がなさそうです。何故なら、彼らは白人系の人種だからです。

彼らは我々アジアの黄色人種とは、髪の色も皮膚の色も目の色も異なる白人種なのです。
ユダヤ人は他人種との婚姻を重ねたから、白人的になったなどとの説明は、ただの詭弁でしょう。

彼らが絶対偽ユダヤ人で、我々アジアにいる人々がイスラエルの血を受け継いでいると強弁するわけではありませんが、一つはっきりいえることがあります。

それは、彼ら、中東に住む白いユダヤ人が本当のユダヤ人なら、我々アジアの国の人々は、
決してイスラエルの子孫ではありえないということです。生物学的なことをいっています。
また、逆にアジアの国々に本当にイスラエルの子孫が存在しているなら、彼ら中東に住む白いユダヤ人は
決して本物のユダヤ人ではないということです。この2つは生物学的に相入れません。

日本人とたとえば、韓国人がかたやユダ部族の子孫、かたやレビ部族の子孫ということはあり得るでしょう。イスラエルのユダ族や、レビ族はそれぞれ同じ祖先を持っているから、当然生物学的にお互い、
にているでしょうし、実際、日本人と韓国人も身体的特徴はよく似ているからです。

しかし、日本人と韓国人とならいえるこのような共通性は、決してあの中東の白いユダヤ人との間にはあり得ません。肌の色といい、髪の色といい、全く異なるので、同じ先祖を持つとは、とてもとても、
色盲や、盲人にでもならない限りとてもいえないからです。
 

8. 残留孤児判別も身体的特徴が似ていることが大きなポイント

それで、繰り返しますが、彼らがもし、本当のユダヤ人と仮定するなら、我々日本人がイスラエル
の血を引いているということは生物学的にとてもいえません。
日本でよく中国の残留孤児のことが話題になります。戦争で中国へ子供を置いたまま日本へ
引き上げてしまった日本人の両親や兄弟のもとへ残留孤児が自分のみもとを確認に訪れるのです。

終戦後何十年もたっているので、お互い、記憶はうろ憶えなのですが、しかし、
顔や身体的特徴が他の兄弟と似ている事が決め手となって、「たしかに和男だ」というように、
身元が判明したりします。

さて、「失われたイスラエルの部族」を探すことも残留孤児を探す手順と似た面があるかもしれません。

しかし、この点で不思議なことが一つあります。
それは、「この人がお前の兄さんです。」と紹介された人物が残留孤児だった弟と、
肌の色も髪の色も目の色も全然異なる事なのです。弟が嘘をついているのか、それとも
兄と称する人物が...。


聖書は終末の日の東におけるイスラエル12部族のリバイバルを語り、また、日本等の風俗、習慣にも確かにイスラエル12部族のかおりがぷんぷんするのです。東アジアにイスラエル部族の子孫がいると語る事は、聖書的にも状況証拠的にも十分妥当性がありそうなのですが、しかし、問題があります。
それは、日本を始めとする東アジアの人々と今、ユダヤ人と称する人々とは、全く生物学的に異なる人々なのです。それで、どちらかが正しければ、どちらかが間違っていることがわかるのです。

真相はどうなのでしょう?
我々はどちらかの結論を強制しているのではありません。しかし、このことは一人一人が、
是非、自分で
考え、各々結論を出すべきことがらだと思っているのです。
 
 



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